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2022.02.07掲載

みはらモノトコ 本田 あや(ほんだあや)さん

〈みはらモノトコ〉を生みだすイラストレーター、本田あや

どんな心持ちで目にするかによって、絵の印象は変わるものだと思っていた。でも、本田あやさんの絵はちょっと違う。手描きならではのやわらかいタッチと、北欧雑貨を思わせるような色の組み合わせ、そしてクスッと笑ってしまうユーモアも隠れている作品の数々は、いつ見ても間違いなく心が晴れやかになるのだ。
フリーランスのイラストレーターとして活動する本田さんの作品は、空の駅オーチャード、道の駅 みはら神明の里などで手に取ることができる。〈みはらモノトコ〉というブランドから発信されるポストカードやマスキングテープ、手ぬぐいなどは、三原の名物(モノ)や名所(トコ)がモチーフになっており、「三原の人も そうじゃない人も 三原のことをもっと知ってもっと好きになる」、そんな思いが込められている。

原点、そしてはじまり


小さい頃から絵を描くのが大好きだった。夢はマンガ家かゲームキャラクターのデザイナー。似顔絵を頼まれては、クラス全員分を描いたこともあった。そんな本田さんがイラストレーターへの道を意識したのは高校生の時。文化祭で制作したポスターを多くの人に見てもらえ、知ってもらえたことで、描くことが〈仕事〉につながるということを意識した。
その経験を基に、高校卒業後はイラストレーター、グラフィックデザイナーを目指し、大阪のデザイン専門学校へ進学。同じ志を持つ学生たちが集まったクラスでの3年間はとても刺激的で、充実したものとなった。授業の一環として、企業から仕事の依頼を受け、自らが描いたキャラクターが世に出たことも。自分の作品が仕事として評価される経験を味わった。
卒業後は東京の会社に就職。商品の販促ツールやディスプレイ、さらに広告制作に関わったが、次第に本当にやりたいこととの間にズレを感じるようになり退職。それからは、在職中に培った横のつながりを活かして、デザイン制作のオファーを受けるように。最初はアルバイトとの掛け持ちだったが、あるとき開催された大規模なデザイン展示会で、自身の作品が企業や雑貨メーカーの目に留まり、大きな仕事の依頼が入るようになった。それが、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして東京で独り立ちするきっかけだった。

移住感覚で帰った来た〈三原〉でのスタート


そこから数年、東京で忙しい日々が続いた。制作は自宅がメイン。顧客とのやり取りはほぼインターネットで。人の多い東京で、人との接点が少ない状況も珍しくなかった。「このまま東京で仕事を続ける意味はあるのか?」。場所を選ばずにできる仕事ということもあり、次第に〈移住〉に興味を持つように。
手始めに、関東エリアで大好きな海が見える場所を条件に移住先を探し始めた。だが、18歳まで慣れ親しんだ瀬戸内の穏やかな海との違いを感じ、広島県の海沿いにターゲットをシフトした。都内の移住センターにも通い、〈故郷に帰る〉ではなくあくまでも〈移住する〉という感覚で広島県内各地を候補に討。だが、なかなか決め手がなく、いったん三原の実家に戻り、そこを拠点に移住先を探すことにした。それが2020年2月。奇しくもコロナ禍に突入する時期と重なった。
移住はしばらく保留にして、三原を拠点に制作活動をスタート。せっかく故郷に帰ったのだったら、ここならではのものづくりをしたいと思い、「みはらモノトコ」を立ち上げた。

故郷で今、感じること

ひょんなことから帰ってきた三原。瀬戸内海を見るたびに、「やっぱり三原が好きだな」と思う。地元での制作活動も徐々に増えていき、東京とは違い、顧客と顔を合わせ、会話をしながらものづくりを進めていける楽しさを感じている。そして、自分の作品への反応が直接伝わってくるのも嬉しい。デザインをきっかけに、地元の魅力をもっと知ってもらえる活動をしたい、今はそう思っている。
もうしばらくは、本田さんの活動拠点は〈三原〉となりそうだ。

みはらモノトコ
本田あや(ほんだあや)
mail:mihara.monotoko@gmail.com
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